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京都地方裁判所 昭和62年(ワ)3231号 判決 1993年11月26日

原告

坪倉清徳(X1)(以下「坪倉清徳」と記す。)

坪倉孝徳(X2)

坪倉治樹(X3)

右三名訴訟代理人弁護士

一岡隆夫

被告

弥栄町(Y)

右代表者町長

森岡行直

右訴訟代理人弁護士

香山仙太郎

理由

一  当事者間に争いのない事実

請求原因1の事実(当事者)、富代子が、昭和六一年四月ころ被告病院で子宮筋腫と診断され、昭和六二年三月二〇日金嶋医師の診察を受け、そのころ同医師から子宮筋腫の切除手術(子宮全摘除術)を受けるように勧められ、これ以降右手術に備えた諸検査及び投薬を受けるため被告病院への通院を続けたこと、富代子の手術の日程が同年四月一七日から同月一〇日に変更されたこと、同月七日に富代子と被告との間で本件診療契約が締結されたこと、富代子が同月九日に手術目的で被告病院に入院し、術前(右同日及び同月一〇日)に頭痛、肩凝り様、吐き気の症状を訴え、看護婦がこれを看護日誌に記載した上金嶋医師にも報告したこと、請求原因2の(四)の事実、本件手術終了後金嶋医師が原告清徳に対し「筋腫の手術は成功した。片方の卵巣を切除した。」等と説明したこと、術後の同月一〇日午後から同月一一日午前にかけて富代子に嘔吐や頭痛の訴えがあったこと、富代子が同月一一日午前九時ころにはうとうとしてすぐ閉眼したり言葉がもつれて聞き取りにくく、同日午後三時には開眼がほとんどできず、同日午後四時には握手ができず、血圧が一七〇/九六であったこと、同日午後四時三〇分ころに金嶋医師が富代子を診察したこと、同日午後六時四〇分ころにナースコールがあり、その際富代子が泡を吹き、血圧が一九〇/九〇であったこと、同日午後七時四五分ころに被告病院で撮影された富代子の頭部CT写真で脳の病変が認められたこと、富代子が同月一七日午前二時三二分に死亡したこと、脳腫瘍のある場合には腰椎麻酔が絶対禁忌であること、金嶋医師が富代子及び原告清徳に対し、腰椎麻酔の危険性及び被告病院には集中治療室がないことを説明しなかったこと、術後富代子に意識朦朧、吐き気、嘔吐及び血圧上昇の症状があったこと、CT検査の翌日の同月一二日被告病院が富代子の手術適応につき豊岡市内の大井病院脳外科に問い合わせをしたこと、被告病院には集中治療室がなかったこと、富代子の容態急変の後に機械による酸素吸入より先に頭部CT検査が施行されたこと、金嶋医師が被告の本件診療契約上の債務の履行補助者であることの各事実は、当事者間に争いがない。

二  富代子の症状経過等

前記一の争いのない事実のほか、〔証拠略〕を総合すると、富代子の症状経過等について、次のとおりの事実が認められる。

1  金嶋医師の初診前の症状経過等

富代子は、不全流産、子宮外妊娠の疑いにより、昭和六一年四月一五日から同月二六日まで、被告病院に入院加療し、その際、同病院の後藤医師に貧血症、子宮筋腫と診断され、適当な時期をみて手術的治療を受けるよう勧められた。その後、昭和六二年一月七日に、過多月経、月経困難を訴えて被告病院に通院し(診察、後藤医師)、血液検査(前掲乙第三五号証)で、ヘモグロビン値七・三g/dl(女性の正常値一〇・一~一四・六)、ヘマトクリット値二六・一%(女性の正常値三二・〇~四三・〇)と、貧血症状を示す結果が出たほか、握り拳大の子宮筋腫が認められた。

2  金嶋医師の初診時の診断等

昭和六二年三月二〇日(同日より担当医は金嶋医師)、富代子は、咳と軽度の頭痛を訴えて被告病院に来院し、主訴、診察所見及び同年一月七日施行の前記血液検査結果から、感冒、貧血症、子宮筋腫と診断された。金嶋医師は、感冒については総合感冒薬を処方し、子宮筋腫については大きさが手拳大以上であり筋腫による強度の貧血があることから手術的治療(腹式単純子宮全摘除術)の対象となる症状と認め、富代子に対し、貧血を改善した上で子宮全摘除術を受けるように勧め、これ以降貧血改善のために鉄剤を投薬する処置を続けた(同月三一日までは静脈注射、それ以降は経口投与)。

3  入院までの症状経過、診断等

昭和六二年三月二八日、同月二〇日にみられた富代子の感冒症状(咳、頭痛)は軽快し、この日の血液検査結果は、ヘモグロビン値八・六g/dl、ヘマトクリット値三〇・九%であり(血液検査票〔証拠略〕)、貧血の程度は同年一月七日よりも改善された。

同年四月七日、富代子のヘモグロビン値は九・六g/dl、ヘマトクリット値三三・二%となり(血液検査票〔証拠略〕)、子宮全摘除術の手術適応が認められる一般的な程度(ヘモグロビン値が一〇・〇g/dl程度)にまで貧血が改善されたことが確認された。この日、金嶋医師は、右の血液検査結果を見て、福井医科大学の紙谷医師と相談した上で、本件手術の日程を当初の予定の同月一七日から同月一〇日に変更することとした。また、この日、富代子と被告は、同日までの富代子の症状経過をふまえて、被告病院が富代子に対して子宮全摘除術及びこれに伴う看護、診療を適切に行う旨の診療契約(本件診療契約)を締結した。

さらに、右同日ころまでに、金嶋医師は富代子及び原告清徳に対し、子宮全摘除術を施行すること、卵巣は異常がなければ両方とも残すが異常があれば切除すること、卵巣が一方でも残れば手術後に急に更年期障害をきたすことはないこと、手術後も性生活に支障はないことの説明を行った。

4  入院後、本件手術までの症状経過等

昭和六二年四月九日午前一〇時三〇分ころ、富代子は、子宮全摘除術(本件手術)を受けるために、被告病院に入院し、その際、軽度の頭痛と肩凝り様の症状があり、悪心、嘔吐はなく、血圧は一三〇/七六であった。

腰椎麻酔に関する術前検査として、血液検査、心電図、胸部X線写真、呼吸機能検査、神経学的な検索等の検査が行われたが、子宮筋腫以外に異常は認められず、運動障害、知覚障害、視覚障害もなかった。また、問診によれば、昭和六二年三月ないし四月当時、富代子には日常生活上の異常はなく、諸種の作業が通常に可能な状態であった。

同日午後七時ころ、頭痛の訴えがあったが、その後、同日午後九時ころ、同月一〇日午前九時二〇分ころ、同日午前一時ころには、いずれも頭痛の訴えはなかった。

同日午前一一時前ころより、術前の輸液が開始された。

同日午後〇時四〇分ころ、富代子が吐き気を訴えた(嘔吐はなし)ので、看護婦がその旨を金嶋医師に報告したところ、前投薬を施行するようとの指示があったのみで、吐き気に関しては特に指示はなかった。

同日午後〇時五五分ころ、腰椎麻酔の前投薬として、硫アト〇・五mg及びペンタジン三〇mgが筋肉注射にて投与された。

5  本件手術

同年四月一〇日午後一時四五分から三時一〇分まで、金嶋医師の執刀、紙谷医師の介助により、富代子の腹式単鈍子宮全摘除術(本件手術)が施行された。

麻酔は腰椎麻酔により、金嶋医師が麻酔者を務めて、手術開始直前の同日午後一時三五分より、ルンバール針(針サイズは二一ゲージ)を第四、五腰椎棘突起間に一回刺入し、脳脊髄液の逆流状況に異常がないことを確認した後、腰椎麻酔使用薬(ペルカミンS二・二ml)を注入し、次いで、手術開始後に、補助麻酔としてペンタジン三〇mg及びホリゾン一〇mgを投与した。

金嶋医師らは、富代子の子宮を摘除したほか、術中所見で、右側の附属器(卵巣)が子宮内膜症に罹患していたため、これも切除した。

富代子の血圧は、手術開始直前の同日午後一時一五分には、約一五〇/九〇程度であったが、手術開始後徐々に抵下して、同日午後二時五分には、最低値の約一〇四/五六程度となり、手術終了直前の同日午後三時ころには約一二五/七〇程度にまで上昇した(麻酔記録〔証拠略〕)。

6  本件手術後、昭和六二年四月一〇日中の症状経過等

原告清徳は、手術室から出てきた富代子の意識がはっきりしていないように見えたので、「全身麻酔でないのに、手術後に意識がはっきりしていないのはおかしい。」と思った。

同日午後三時三〇分ころ、富代子は病室に帰室した。意識は明瞭だが、帰室直後に嘔吐し、また軽度の創痛があった。

手術終了後、金嶋医師は原告らに対し、摘出物を示しながら右卵巣に異常(子宮内膜症)があったのでこれを切除したことを告げた。

同日午後五時三〇分ころ、吐き気と嘔吐(胃液様少量)があったが頭痛はなかった。

同日午後七時ころ、医師回診があり、痛みがあるときにはペンタジンを筋肉注射するよう指示された。吐き気と嘔吐(胃液様少量)があった。

同日午後八時ころ、吐き気と嘔吐が少量あった。

同日午後九時ころ、吐き気と胃液様の嘔吐が少量あり、吐き気の際に創部に響くとのことであった。

同日九時二五分ころ、吐き気の際の創痛に対する処置として、ペンタジン(鎮痛薬)一五mg、ホリゾン(精神安定剤)五mgが筋肉注射にて投与され、また、テルペラン(制吐剤)が、施行中の点滴内に追加投与された。

7  昭和六二年四月一一日の容態急変時までの症状経過、診断等

同月一一日午前五時三〇分すぎころ、二回程嘔吐した。

同日午前九時ころ、ウトウトしてすぐ閉眼したり、言葉のもつれがあって聞き取りにくい状態であった。頭痛も少しあり、現在は悪心はないが、少し前に嘔吐があった。血圧は一五二/八二であった。

同日午後〇時五〇分ころ、ウトウトしているのは同様で、後頸部が痛むのか、頸をもんでいた。家人の話では、同日午前一〇時ころ以降は吐き気の訴えはないとのことであった。

頭痛の有無を問うと頭痛がするといい、ウトウトしていた。また、悪心があるというが、すぐ寝る状態であった。

同日午後三時ころ、富代子は開眼がほとんどできない状態であり、看護婦は、このように睡眠様の症状が持続するのは、あるいは薬の為かと考えた。家人の話では、ほとんどずっと寝ているとのことであった。

同日午後四時ころ、血圧が一七〇/九六と上昇した。握手ができず、左側臥位で寝ていた。疼痛があった。呼吸は平緩であった。

同日午後四時三〇分ころ、金嶋医師が回診し、「診察をします。」と言うと、富代子は自分で病衣を開いて胸部を出し、また、深呼吸を促されると、これに応じて深呼吸をしたが、その後、名前を呼ばれても反応しなくなり、意識がやや不明瞭な状態であった。金嶋医師は、このような富代子の状態から、尿量と血圧に注意し、バイタルサインに異常がなければそのまま様子を見て、痛みの際にはインダシン座薬(意識レベルを下げる作用のない薬)を用いるように看護婦に指示した。

8  容態急変の際の症状等

同日午後六時四〇分ころ、ナースコールがあった。富代子は、血圧が一九〇/九〇まで上昇し、泡をふいて、瞳孔が拡散し、名前を呼んでも反応せず、意識がなく、いびきをかいて寝ている状態であった。吸引及び酸素投与が施行され、当直医に電話連絡された。

同日午後六時五五分ころ、当直医が訪室し、その際、富代子の気道が狭小化し、また自発呼吸が停止したので、当直医はエアーウェイを挿入し(挿管)、人口呼吸用バッグによる他動的呼吸の処置を行った。

9  頭部CT検査所見及び右検査後の症状経過等

同日午後七時四五分ころより約八分間にわたり、富代子の頭部CT写真が撮影され、その結果、左前頭から頭頂葉にかけて約五cm幅の占拠性病変があり、内側は低吸収域を、外側は同吸収域から高吸収域をそれぞれ呈し、病変により左側脳室が著明に右方へ圧迫されている像が認められ、右画像からは脳腫瘍と診断された(頭部CTスキャン検査報告書〔前掲乙第六三号証〕)。

右CT検査終了後、被告病院の越智院長と当直医(いずれも内科医)は、CT所見をもとに、富代子が脳ヘルニアから呼吸停止状態に至ったため、手術的治療(開頭手術)の適応はないものと診断した。そこで、越智院長は原告清徳に対し、「CT写真を見る限り、八〇から九〇は助からない。」等と説明するとともに、原告清徳から求められた専門病院への転医については、「搬送に自信が持てないので、落ちつくまで様子を見たい。」等と答えた。

その後、被告病院では、挿管人工呼吸を行うとともに、脳圧を下げ、脳の腫れを引かせる薬(グリセオール、デカドロン等)を投与しながら、経過観察を続けたが、富代子は自発呼吸を再開せず、同月一七日午前二時三二分に死亡した。

10  以上のとおりの事実が認められる。

原告清徳の本人尋問の結果中、前記認定事実3に反し、手術日が昭和六二年四月七日に決定されたことを否定する旨の部分があるけれども、被告病院カルテの右同日の部分には「今後の方針、10/Ⅳ ope(四月一〇日に手術施行)」との記載があり、これより前の診察日の部分には具体的な手術日の記載がないこと(〔証拠略〕)、同年四月七日に施行された富代子の血液検査で子宮全摘除術の手術適応が肯定される結果が出たこと(〔証拠略〕)、右同日金嶋医師は血液検査の結果を至急に報告するように依頼し(〔証拠略〕及び血液検査票〔〔証拠略〕〕の「至急でお願いします」との記載によりこれを認める。)、血液検査の結果は急げばその日のうちにわかるものであること(〔証拠略〕によりこれを認め、これを覆すに足りる証拠はない。)の各事実を総合すれば、昭和六二年四月七日に金嶋医師が同日施行の血液検査結果をみた上で、本件手術の日程を同月一〇日に変更したものと認められる。なお、原告清徳は、その本人尋問において、「昭和六二年三月二八日に、金嶋医師から手術日を同年四月一七日にするとの話を聞いたが、その後、同年四月三日ころ、被告病院から富代子に対し、「病院の新築・移転でごたごたするから、その前に手術を行うため、手術日を四月一〇日に繰り上げたいので、四月七日に検査に来てほしい。」等と電話があった旨を富代子から聞いている。」等と供述するけれども、右供述内容は、同月七日に同日施行の血液検査結果を踏まえて最終的に手術日を同月一〇日に決定(変更)、されたこと自体を否定するに足りるものではない。

また、原告清徳は、その本人尋問において、前記認定事実3に反し、「金嶋医師からは、卵巣をどうこうするという話はなかった。」と供述するけれども、その一方で、原告清徳は、昭和六二年三月二八日に金嶋医師からどこか具合の悪いところがあった場合には摘出しなければならない旨を聞いたことを認める旨の供述をしていること、また、卵巣を摘出することもありうることを原告清徳や富代子に説明してあるとする〔証拠略〕(金嶋医師の陳述書)中の記載を総合すると、卵巣の摘出に関する説明はなかったとする原告清徳の前記供述はにわかに措信し難い。

三  富代子の脳疾患の内容及び死亡の原因機序

鑑定人医師種子田護(大阪大学医学部助教授脳神経外科学教室、以下「種子田医師」という。)の鑑定の結果(脳神経外科関係、以下「種子田鑑定」という。)及び同承認の証言によれば、富代子の脳疾患及び富代子の死亡の原因機序につき、次のとおり認められる。

1  富代子の脳疾患(脳腫瘍の有無等)

富代子の頭部CT写真(〔証拠略〕)をみると、脳腫瘍の存在が認められる(正常な脳と異常な腫瘍とが入り混じって非常に判然としないような特徴を示す神経膠腫という種類に属するものと思われるが、同じく脳腫瘍の一種の悪性リンパ腫等である可能性も否定できない。いずれにせよ一般的な分類でいう脳腫瘍である。)。

脳腫瘍との鑑別を要する脳梗塞の存在については、一般に脳梗塞では血管が詰まったためにその末梢部分がCT所見上低吸収域を呈するところ、富代子の頭部CT写真をみると左側に低吸収域を呈しているので脳梗塞かとも考えられたが、緻密に検討すると血管領域と低吸収域とが一致しないので、脳梗塞ではないと判断された。また、「富代子の脳病変が脳腫瘍であるならば、昭和六二年四月ころ当時、富代子には右の麻痺や筋力脱力、右半身の感覚異常等の症状が出ていた可能性があるのに、実際は無症状であったから、脳腫瘍は否定されるのではないか。」との疑問に対しては、種子田医師は、「脳腫瘍では、腫瘍が非常に大きくなってもなかなか症状を現さないことがあり、これは脳外科医の間では常識である。逆に、脳梗塞であれば、富代子の頭部CT所見ほどの病変があれば、症状を現さないほうがおかしいといえる。」と説明している。結局、種子田医師は、血管領域、症状経過、腫れ方等を子細に検討したところ、脳梗塞ではなく、脳腫瘍であると判定したものである。

2  富代子の死亡の原因及び機序

腰椎麻酔は、腰椎レベルのクモ膜下腔を穿刺して麻酔薬を注入する麻酔方法であるが、この穿刺した針を抜いた後に長時間にわたり穿刺孔からクモ膜下腔内の脳脊髄液がクモ膜下腔外に流出し続けることが多く、このため、頭痛や頻回の吐き気、嘔吐が生ずるものの、通常は、数日のうちにこれらの症状は消失し、何らの不都合を残さないものである。

ところが、本件では、大きな脳腫瘍が富代子の大脳半球に存在してその周囲の圧力が高まっていたため、髄液の流出が続くことにより圧力の減じた脊髄の方向へ脳が次第に移動して、ついには脳幹の絞扼が生じ、これが致命的になったものである。

四  請求原因3の(一)(手術の要否及び時期に関する誤診)について

1  まず、原告らは、富代子の子宮筋腫は積極的に治療対象とされるものではなく、本件手術は不要であったと主張するので、この点につき判断するに、鑑定人医師青地修(名古屋市立大字名誉教授・愛知医師大学客員教授、以下「青地医師」という。)の鑑定の結果(麻酔科及び産婦人科関係、以下「青地鑑定」という。)によれば、青地医師は、富代子の子宮筋腫の大きさ(手拳大)及び子宮筋腫に起因する強度の貧血症状の存在に加え、富代子は本件手術当時三八歳の女性であって閉経期を待つには十数年以上あるし、既に二児を出産しているという恰好の条件がある(なお、富代子が本件手術当時三八歳の女性であり二児を出産していたことは〔証拠略〕により認められる。)ことを理由に、本件手術の必要性を肯定する医学的所見を有しており(鑑定書二~三頁)、右所見はこれを首肯し得るから、原告らの前記主張には理由がない。

2  次に、手術の時期に関して金嶋医師に誤診があったとの原告らの主張について判断するに、青地鑑定によれば、青地医師は、「富代子の貧血は約一七日かけて補正されており、本件手術は決して無理に急いで踏み切られたものではない。」と判定している(鑑定書三頁)ものであるところ、前示二の3のとおり、金嶋医師は、富代子の貧血の補正のため、昭和六二年三月二〇日から同年四月七日ころまで静脈注射と経口投与による鉄剤の投与を続けた後、同年四月七日に同日施行の血液検査結果により富代子の貧血が改善されたことを確認した上で本件手術を施行すること(及びその日程)を最終的に決定したものであり、かかる治療、症状の経過に照らせば、青地医師の右判定はこれを首肯し得るから、手術日を繰り上げた理由につき検討するまでもなく、原告らの前記主張には理由がない。

五  請求原因3の(二)(腰椎麻酔の適応に関する誤診)について

青地鑑定によれば、富代子には、術前に予想される禁忌となる疾患や症状は認められなかった(鑑定書六頁)し、日常生活に異常はなく、諸種の作業が通常に可能であり、運動障害・知覚障害・視覚障害もなかったため、CT等による精査の動機もないので、富代子の脳腫瘍を術前に発見する可能性は極めて少なかった(鑑定書一〇頁)ことが、また、種子田鑑定によれば、術前に脳腫瘍を疑わせる症状がなかったとすれば(なお、富代子の様な大きな脳腫瘍があった場合でも無症状であることは決して稀ではない。)、術前の頭蓋内の異常を疑って頭部CT検査を施行する理由はなく、また、富代子の術前の頭痛は、咳(入院前)や肩凝りに伴って起こっているし、術前の吐き気は頻回ではないので、これらの症状から脳腫瘍との術前診断を下すことは、一般の医療水準を越えたものであること(以上、鑑定書第一項)が、それぞれ認められる(右鑑定内容は、いずれもこれを首肯し得る。)。

したがって、前示二の4の術前における富代子の症状から腰椎麻酔の禁忌である脳腫瘍の存在を疑うことは困難であったといえるので、金嶋医師には腰椎麻酔の適応に関する誤診があったとする原告らの主張には理由がない。

六  請求原因3の(三)(説明義務違反)について

1  説明義務違反その1(腰椎麻酔の危険性の説明懈怠について

医師は、診察または治療のため、患者に対し手術等の医学的侵襲を伴う医療行為を行うにあたり、その過程及び予後において一定の蓋然性を持つ悪しき結果や死亡等の重大な結果の発生が予測される場合には、診療上の義務ないし右医学的侵襲に対する承諾を得る前提として、患者またはその家族に対し、患者が当該医療行為の必要性や危険性を十分に比較考慮した上でこれを受けるか否かを決することが可能なように、患者の症状、治療方法の内容及び必要性、発生が予測される危険等につき、当時の医療水準に照らし相当と思料される事項を説明する義務を負うことは多言を要しないものである。

しかし、全身麻酔、腰椎麻酔を問わず、およそ麻酔を施行すること自体にある程度の危険が伴うことは、一般に理解されていることであるし、また、前示四の1のとおり、富代子には子宮筋腫に起因する強度の貧血症状がみられる等子宮全摘除術の施行が必要だったのであり、さらに、富代子は、前医である被告病院の後藤医師の診察当時(昭和六一年)に、貧血症、子宮筋腫と診断され、その際の入院診療録(前掲乙第三号証)の同年四月二一日欄に「貧血治療後、できたら子宮全摘除術」との記載がある上、原告清徳も、その本人尋問において、昭和六一年の入院の際に後藤医師から「子宮筋腫があり、いずれ手術しなければならない。」と聞いていたと供述していることからみて、既に昭和六一年当時から子宮全摘除術の必要性があったことは明らかであり(もっとも、右当時は、貧血症状の改善が未了であることが手術施行の妨げとなっていた。)、かかる症状経過に照らすと、本件手術を受けるか否かについての富代子及び原告清徳の判断が、一般的に腰椎麻酔には危険が伴うという程度のことだけで左右されたとは認め難い。

さらに、前示三の1のとおり、富代子には大きな脳腫瘍が存在しており、このような患者に対して腰椎麻酔を施行した場合には、前示三の2の機序により脳幹の絞扼を招くおそれがあって非常に危険であるから、富代子及び原告清徳は、富代子の脳腫瘍の存在及びこれによる特別の危険を予め知っていれば本件手術を受けなかったものと容易に推認できるけれども、前示五のとおり、富代子の脳腫瘍の存在は術前には予測できなかったのであるから、金嶋医師としては、右の危険を予め説明することは不可能であった。

以上によれば、金嶋医師に、腰椎麻酔の危険性に関する説明義務違反を認めることはできず、この点についての原告らの主張には理由がない。

2  説明義務違反その2(集中治療室がないことの説明懈怠)について

前示二の富代子の症状経過に照らせば、昭和六二年四月一一日午後六時四〇分ころの容態急変以降の富代子の症状経過、救命可能性、予後につき、被告病院における集中治療室の有無によって違いが生ずるものとは認め難いから、設備(集中治療室のないこと)に関する説明義務違反を認めることはできず、この点についての原告らの主張には理由がない。

3  説明義務違反その3(卵巣摘出することの説明懈怠)について

金嶋医師が、本件手術に先立って、富代子及び原告清徳に対し、子宮全摘除術を施行すること、卵巣は異常がなければ両方とも残すが異常があれば切除すること、卵巣が一方でも残れば手術後急に更年期障害をきたすことはないこと、術後も性生活には支障がないことを説明したことは、先に二の3で判示したとおりであり、金嶋医師が、富代子及び原告清徳に対し、卵巣を摘出する事態もありうることの説明を怠った事実は認められないから、この点についての原告らの主張には理由がない。

七  請求原因3の(四)(術中の監視義務違反)について

原告らは、金嶋医師は術中での富代子の血圧低下その他の異変を看過し、術中の監視義務に違反したと主張するので、この点につき判断する。

術中における富代子の症状につきみるに、まず、原告ら主張のとおり、富代子の血圧が低下していた事実が認められる(前示二の5)ものの、青地鑑定では、富代子の術中の血圧変動は正常範囲内であると指摘されている(鑑定書六頁)。次に、原告らは、手術室から出てきた際に富代子の意識がはっきりしておらず、原告清徳がこれを不審に思ったことから、術中に何らかの異変があったはずである等と主張するけれども、看護記録(〔証拠略〕)によれば、手術室から出た後病室に戻った時点(昭和六二年四月一〇日午後三時三〇分ころ)では、富代子の意識状態がむしろ明瞭であったことが認められるし、また富代子には術前の前投薬や術中の補助麻酔が投与されており、投薬後の時間的経過からすると、手術終了直後の時点では右各薬剤が富代子の意識状態に影響を及ぼしていることも十分に考えられ、そうしてみると、手術室から出てきた際に富代子が意識のはっきりしない状態であっても、そのことから直ちに術中の富代子に何らかの異変(発作の前兆等)があったと推認することはできないものというべきである。また、他に術中の富代子に異常な症状が発生したことを認めるに足りる証拠もない。

したがって、術中の富代子に異常な症状が発生したとの事実を認めることはできない。

さらに、前示三のとおり、富代子の脳疾患は、脳腫瘍であって脳梗塞ではないから、脳梗塞の存在を前提とする原告らの主張は、この点においても採用し得ないものである。

したがって、金嶋医師には術中の監視義務違反があったとする原告らの主張には理由がない。

八  請求原因3の(五)(術後の監視義務違反~脳病変の発見及び搬送措置の遅れ)について

原告らは、術後(殊に昭和六二年四月一一日午前九時ころ以降)の富代子には、何らかの脳病変を疑わせるに十分な症状が見られたのに、金嶋医師はこれを軽視ないし看過し、術後の監視義務に違反したと主張するので、この点につき判断する。

1  術後における富代子の症状経過

術後(昭和六二年四月一一日午後六時四〇分ころの容態急変まで)の富代子の症状経過が次の(一)ないし(六)のとおりであることは、先に二の6及び7で判示したところである。

(一)  昭和六二年四月一〇日の午後三時三〇分ころ、午後五時三〇分ころ、午後七時ころ、午後八時ころ、午後九時ころ及び同月一一日午前五時三〇分すぎころに、それぞれ吐き気ないし嘔吐の症状があった。

(二)  同月一一日午前九時ころ、ウトウトしてすぐ閉眼したり、言葉のもつれがあって聞き取りにくい状態で、頭痛も少しあり、現在は悪心はないが、少し前に嘔吐した。血圧は一五二/八二だった。

(三)  同日午後〇時五〇分ころ、従前と同じくウトウトしており、後頭部が痛むのか、頸をもんでいた、家人の話では、同日午前一〇時ころ以降は吐き気の訴えはないとのこと。頭痛の有無を問うと頭痛がするといい、ウトウトしていた。また、悪心があるというが、すぐ寝る状態であった。

(四)  同日午後三時ころ、開眼がほとんどできない状態で、看護婦は、このように睡眠様の症状が持続するのは、あるいは薬の為かと考えた。家人の話では、ほとんどずっと寝ているとのことであった。

(五)  同日午後四時ころ、血圧が一七〇/九六と上昇し、握手ができず、左側臥位で寝ており、疼痛があって、呼吸は平緩であった。

(六)  同日午後四時三〇分ころ、金嶋医師に「診察をします。」と言われると自分で病衣を開いて胸部を出し、促されるまま深呼吸をしたが、その後、名前を呼ばれても反応しなくなり、意識がやや不明瞭な状態であった。

2  種子田医師の医学的所見

種子田鑑定及び同証人の証言によれば、種子田医師は、術後(殊に昭和六二年四月一一日午前九時ころ以降)の富代子の意識状態及び術後の金嶋医師の処置(術後管理)の妥当性につき、次のとおりの医学的所見を有していることが認められる。

(一)  鑑定書の中で示した所見(鑑定書第二項)

(1) 手術後に富代子の意識が朦朧としていたことにつき、薬剤に対する感受性の個人差は大きいので、手術直後であれば軽度の意識障害が生ずることは時にありうるものの、手術翌日の昭和六二年四月一一日午前九時ころには、鎮痛剤(術後に投与された)の影響は既に少なくなったと考えられる(なお、青地鑑定でも、同日午前九時ころ以降は、薬剤の投与量及び効果持続時間からみて、前夜筋注したホリゾンの影響ではないと判定している。)のに、明らかな意識障害が認められ、この時点で既に脳幹の絞扼が始まっていたものと想像される。

(2) もっとも、脳の専門家でない医師が、脳腫瘍の存在を全く想橡していない場合に、この事態の発生を認識することは困難であったとも解釈される。

(3) 腰椎麻酔の後に、頭痛や頻回の吐き気、嘔吐が生じた場合でも、一般には、数日の後にこれらの症状は消失し、何らかの不都合を残すものではない。

(4) 仮に、同日午前九時時点で、富代子の病態に気づいてCTスキャンによる検査、開頭術を含めた何らかの処置の必要性に気づいたとしても、院内に脳神経外科医がいないことも加味して、検査、搬送、手術準備、手術の施行に要する時間を考慮に入れると、救命の可能性は大きいものではなかったと想像される。

(5) 結論として、被告病院での術後の処置は、脳腫瘍の術前診断が困難であった事情を考え合わせると、一般臨床上おおむね妥当なものと判定しうる。

(二)  証人尋問の際に示した所見

(1) 前同日午前九時ころの意識障害の状態は、極めて異常であり、何らかの脳病変を疑うに十分であり、(「脳腫瘍の存在を全く想像もしない医師であれば仕方がないということなんでしょうかね。」との問いに対する回答として)何らかの検査をしたほうがよかったんじゃないかと思われる。右時点において施行すべきであった検査の内容とは、非常に細かな神経学的所見をとってみることであり、その場合、はっきり麻痺があるとか、失語症や瞳孔の左右差があるときには、神経科、神経内科、脳神経外科等の専門医でなくとも診断できるが、非常に軽い症状であれば専門医でないとなかなか見い出せない、頭部CT検査を施行すれば、このような細かい神経学的所見をとるまでもなく(専門医でなくても)、右時点でも脳病変症状を把握できたものと思われる。

(2) 前同日の午前より午後のほうが意識状態が悪化しているかどうかについては、看護記録(〔証拠略〕)の記載では、午後四時には「握手不可」等とあり、午後四時三〇分には、返答をする(「呼びかけにて反応あり」)かと思うと、その後に、「呼名にても反応なくなる」とある等、結局、良くなったり悪くなったりで、なかなか断定し難いところがある。また、手術後で非常に疲れているためにあるときにはウトウトし、あるときには目が覚めているというような状態と紛らわしいということもあり、どんなときでも一定の反応を示していれば断定できたかもしれないが、やはりそのあたり迷ったかもしれない。但し、「これは一般的に我々(脳外科専門医)からみると、意識状態はよくないなというような印象を受ける」ものである。

(3) 鑑定書の内容につき、証人尋問の機会に改めるべき点はない。鑑定書で示した「術後の処置は一般臨床上おおむね妥当なものと判断しうる」との結論は、「専門医であればできるけれども、被告病院の体制ではやむをえなかった。」という趣旨である。

「手術後の処置は、一般臨床上妥当であったか」という鑑定事項は、「我々医療技術の専門家が判定するのが適当であるか非常に迷った」ところであるが、種子田医師個人としては、「こういう第一線で(診察・治療を)やられていて、しかも非常に不思議な、滅多にないことにぶつかってしまったということになると、非常に判定が難しかったのではないかと考え」、そこで、右の結論にしたものである。

(三)  種子田医師の判定

右(一)、(二)を総合すると、種子田医師は、「脳外科の専門医であれば、富代子の昭和六二年四月一一日午前九時ころ以降の意識状態から脳病変を疑って、神経学的所見をとり、頭部CT検査を施行して、脳病変を発見することができたが、脳外科の専門医ではない金嶋医師が右各処置を講ずるのはかなり困難であった。」と判定したものということができる。

3  種子田医師の判定に対する当裁判所の判断

右2の(三)の種子田医師の判定につき検討するに、<1>術後管理にあたった金嶋医師は脳外科の専門医ではなく、被告病院内には脳外科の専門医がいなかったこと、<2>数々の脳障害の症例にあたり、また脳障害に関する検査も頻繁に施行している脳外科の専門医と、それ以外の医師との間では、術後管理に際し患者の一定の症状から何らかの脳病変の存在を疑う能力(診断能力)の程度において、かなりの差異があるものと窺われること、<3>富代子の脳腫瘍の存在を術前に診断することは困難であり、金嶋医師は脳腫瘍の存在を予期できなかったこと、<4>昭和六二年四月一一日午後六時四〇分ころの容態急変時までの富代子の意識状態は、良くなったり悪くなったりしており、また、手術後で非常に疲れているためにあるときにはウトウトし、あるときには目が覚めているというような状態と紛らわしいところもあって、意識状態の推移を診断するのに困難があったといえること、<5>富代子の一連の症状経過は、前示2の(二)の(3)のとおり、「非常に不思議な、滅多にないこと」であり、その意味で臨床上かなり稀な症例であったといえることの各事情を総合すると、昭和六二年四月一一日当日の富代子の症状経過のもと(意識状態の推移の紛らわしさ等)では、脳外科の専門医ではない金嶋医師が、容態急変より前に富代子の脳病変の発症の疑いがあるものと診断することは、かなり困難があったと考えられるから、前記2の(三)の種子田医師の判定はこれを首肯し得るものというべきである。

4  さらに、青地鑑定には、「執拗なる術後の嘔吐については十分不審を持つべきであり、余りに楽観にすぎた。」と指摘する部分があるものの、結論的には「手術後の処置は一般臨床上妥当であった。」と判定していることからみて、右指摘が富代子の術後の嘔吐から直ちに脳病変を疑うべきであったとする趣旨であるとは認め難い。

5  以上の次第で、金嶋医師が、前示二の6及び7の富代子の術後の症状から脳病変を疑って頭部CT等の検査を行わなかったことは、一般臨床上の水準に照らし、これを非難し得ないものであるから、原告らの前記主張は採用することができない。

九  請求原因3の(六)(術後の応急措置義務違反~脳病変発見後の応急措置の不適切)について

1  応急措置義務違反その1(専門医への搬送の懈怠)について

原告らは、頭部CT検査により富代子の脳病変が発見された時点においても、すみやかに脳外科医のもとに搬送されて開頭手術を受けていれば、なお救命が可能であったのだから、右措置を講ずるべきであったのに、被告病院はこれを怠ったと主張するので、この点につき判断する。

(一)  種子田医師の医学的所見

種子田鑑定及び同証人の証言を総合すれば、種子田医師は、頭部CT検査により富代子の脳病変が発見された時点(昭和六二年四月一一日午後七時四五分すぎころ)において富代子に対して採るべき処置内容及びこれによる富代子の救命可能性につき、次のとおりの医学的所見を有しており、右所見はこれを首肯し得る。

(1) 昭和六二年四月一一日午後七時四五分ころに撮影された富代子の頭部CT写真(〔証拠略〕)だけを見て、右検査終了時に採り得る処置を挙げると、<1>まず、脳の腫れがあるので、これを引かせる薬をできるだけ早く静脈内に投与することにより脳のボリュームを減らし、脳がこれ以上に下方に移動することのないようにする(右処置だけでは脳の位置を元に戻すことはできない。)方法であり、<2>その上で、まだまだ望みがあると判断されれば、開頭して脳腫瘍を摘出したり、頭蓋骨を外して圧力を下げる方法(開頭手術)である。

なお、脳外科の臨床上の治療方法の選択は、患者の状態や経過、その他の周囲の状況を総合してなされるものであり、頭部CT写真はあくまで補助検査にすぎず、これだけで治療方法を決定することはない。

(2) 開頭手術施行のための搬送(専門病院まで運ぶこと)は全く無害というわけではなく、これに危険が伴うことは否定できず、何もしないならば安静のほうがよいけれども、我々(脳外科の専門医)は搬送の危険よりも手術をして救うメリットのほうが大きいと考えるので、手術をする場合には、搬送によるデメリットを無視しなければならない。搬送中にも症状は進むが、本件では、三〇分や一時間の搬送なら大丈夫であり、同日午後七時四五分すぎころ(CT検査終了後)でも、富代子を搬送することは可能であったと思われる。

開頭手術は、患者の全身状態が悪くなければ、手術そのものはさして困難ではない。本件では全身状態につき、特に悪いデーターは見られなかった。

(3) 仮に、昭和六二年四月一一日午前九時の時点で、富代子の病態に気づいてCT等の処置の必要性に気づいたとしても、被告病院内に脳神経外科医がいないことも加味して、検査、搬送、手術準備、手術の施行に要する時間を考慮すると、救命の可能性は大きいものではなかったと想像され、非常に早く開頭手術(脳腫瘍の摘出)をしていたら、あるいはよくなった可能性があるかもしれない。

その場合、開頭手術後に後遺障害が残る可能性はあり、特に、富代子には脳腫瘍があったので、仮定論ながら、本件のアクシデントがなくとも、早晩、麻痺等の症状は出たと思われるので、開頭手術でよくなっても、その後、脳腫瘍に起因して、麻痺や意識障害がなかなかよくならないことがあったかもしれない。

(4) 頭部CT検査終了時の前同日午後七時四五分すぎころには、開頭手術をすれば、「ひょっとすれば進行を止められるかもしれない」(また、「よくなるかもしれない)し、「一縷の望みとしてやるとしたら、それ(開頭手術)しかない」という状態であった。

開頭手術は、患者の症状があまりにも進みすぎていると無駄な治療になるが、富代子の頭部CT写真だけを見る限りでは、絶対に手の施しようがないということではない。右時点でも、専門医のもとまで搬送して開頭手術を施行することは可能であり、種子田医師であれば結果はどうあれ開頭手術施行のため富代子を専門病院に搬送していた。

しかし、開頭手術施行後に、「生き甲斐のある生活を送られるかどうかはなかなか難しい」ものと思われ、命は取り留めたかもしれないが、術後に重い後遺障害が残ったかもしれない。

(二)  富代子の救命可能性の有無及び程度に関する判断

富代子の頭部CT検査終了時(前同日午後七時四五分すぎころ)、前記(一)の(1)の搬送、開頭手術の措置を講じた場合における富代子の救命可能性の有無及び程度につき判断するに、前示(一)の(2)のとおり、右時点でも、三〇分から一時間程度かけて専門病院まで搬送した上で、富代子に対し開頭手術を施行すること自体は可能であったけれども、先に(一)の(3)で判示したところによれば、同日午前九時ころでさえも、救命の可能性は大きいものではなく、非常に早く開頭手術(脳腫瘍の摘出)をしていたらあるいはよくなった可能性があるかもしれないという程度に過ぎず、しかも、脳腫瘍が存在しているために予後不良も予想される症例であったというのであるから、まして、これより約一〇時間が経過し、その間に脳幹の絞扼も一層進行したものと推認される前同日午後七時四五分すぎころにおいては、搬送、開頭手術の措置を講じても、富代子の救命の可能性はほとんど皆無に近いものであったと考えられる。

種子田医師が、右時点で搬送、開頭手術の措置を講じた場合には「よくなるかもしれない」とか「命は取り留めたかもしれない」という(前記(一)の(4))のも、いわば論理的な可能性としては開頭手術による救命の事態を否定できないという程度にすぎないものであり、現実的な救命可能性を肯認する趣旨であるとは認め難い。

(三)  応急措置義務違反(その1)の有無に対する判断

専門病院までの搬送及び開頭手術の手術適応の有無は、各種補助検査の結果のほか、それまでの症状経過、救命可能性の有無及び程度、搬送や手術の最中での死亡の危険性等の諸般の事情を総合して判断するのが相当であり、単に搬送及び手術の施行により論理的には救命の可能性がある(否定できない)というだけでこれを施行する義務があるということにはならないと解するのが相当である。

本件では、前示(二)のとおり、頭部CT検査終了時(前同日午後七時四五分すぎころ)においては、富代子を三〇分から一時間程度かけて専門病院まで搬送した上で開頭手術を施行すること自体は可能であっても、開頭手術による富代子の救命可能性はほとんど皆無に近いものであったというのであるから、「結果はどうであれ、座して死を待つのではなく、あらゆる手段をとって欲しかった」との原告ら家人の心情は理解できないでもないが、搬送及び開頭手術の手術適応を否定して安静のまま保存的療法を続けた措置が不適切であったと断ずることは困難であり、開頭手術のために専門病院まで搬送する措置が採られなかったことをもって、応急措置義務違反があるものということはできない。

以上の次第で、原告らの前記主張は採用することができない。

2  応急措置義務違反その2(機械による酸素吸入実施の遅れ)について

次に、原告らは、昭和六二年四月一一日午後六時四〇分ころに富代子の容態が急変した際に、一刻も早く機械による酸素吸入を施行すべきであったのに、実際には、これより先にCT検査が施行され、このため、CT検査施行中には機械による酸素吸入を施行できず、酸素吸入が不十分にしか行えなかった旨主張するので、この点につき判断するに、右時点では富代子に脳病変を強く疑わせる症状があり、すみやかなCT検査施行が必要だったのであるし、また、そもそも、挿管した上での手動による人工呼吸が、機械による方法よりも劣るということはない(証人金嶋の証言によりこれを認め、これに反する証拠はない。)から、原告らの主張には理由がない。

一〇  結論

以上判示したところにより、金嶋医師の診察、治療に不十分、不適切な点(不完全履行)を認めることができないから、その余の点につき判断するまでもなく原告らの本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小北陽三 裁判官 岡健太郎 加島滋人)

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